国語力が全ての基本

国語力が全ての基本

よく言われることではありますが、「国語力が全ての基本」という話をします。

例えば中学校あるいは塾で、「You may play tennis」という例文が出てきた場合、どう和訳すればよかったでしょうか?

助動詞「may」は、「~してもよい」(許可)「~するだろう」(推量)の2つの意味があります。
許可・推量という言葉自体は大切ではありません。
テスト・入試では、和訳の方が聞かれるのですから。

では、「あなたはテニスをしてもよい」うん、きちんと宿題も終わらせたことだし、という場面ならば合いそうですね。
でも、「あなたはテニスをするだろう」うん、今日は天気も良いし、テニス好きのあなたならばきっと、という場面なら合いそうですね。

結局、「文脈判断」ということになります。
前後の文章、場面から、どちらがより当てはまるのか判断しなければならないということです。
これも結局「国語力」ということになりますよね。

古文でも同じようなことが言えます。
「現代日本語力」の勝負になってくる場合が多いのです。

例えば「清し」という言葉があります。
辞書を引けば「きれいだ、美しい」と並んでいます。
でも、この2つを使い分けなければいけないのです。

「きれいな景色」「美しい景色」は同じと言えるでしょう。
でも「きれいな部屋」「美しい部屋」だと?
きちんと整理整頓されている部屋を「きれいな部屋」と呼ぶことは可能ですが、それだけでは「美しい部屋」とは言いにくいはずです。

例えばそこにオシャレな飾り付けがされていたりして、初めて「美しい部屋」と言えます。

うーん、日本語って難しいですね。